大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のクライマックス!承久の乱はなぜ起きたのか? (6/8ページ)
到底勝ち目はない」
「いや、たとい勝利したところで、畏れ多くも朝廷に対して弓を引いた以上、逆賊として遠からず滅びよう」
「ここは一つ、執権(義時)殿にご覚悟(≒自害)頂き、お詫びの印(≒義時の首級)を持参するしか……」
大いに動揺する御家人たちを叱咤激励したのが尼将軍こと政子の演説と言われていますが、政子自身が演説したという『承久記(じょうきゅうき)』に対して、幕府の公式記録『吾妻鏡(あづまかがみ)』では、政子の原稿を代読させたと言います。
鎌倉幕府の危機を救った尼将軍・北条政子。Wikipediaより。
皆心を一にして奉るべし。これ最期の詞なり。故右大將軍朝敵を征罰し、關東を草創してより以降、官位と云ひ俸祿と云ひ、其の恩既に山嶽よりも高く、溟渤よりも深し。報謝の志これ淺からんや。而るに今逆臣の讒に依り非義の綸旨を下さる。名を惜しむの族は、早く秀康・胤義等を討取り三代將軍の遺蹟を全うすべし。但し院中に參らんと慾する者は、只今申し切るべし。
※『吾妻鏡』承久3年5月19日条より。
【意訳】
皆の者、心一つに聞きなさい。これが最後の言葉です。かつて亡き頼朝公は朝敵を滅ぼし、鎌倉幕府を開いて以来、あなたがたの奉公に、山より高く、海より深く報いて下さった御恩をお忘れではないでしょう。