新撰組「10の謎」を全解明する(2)「女とマッパ」現場を襲われた芹沢鴨 (1/8ページ)
【謎其の二】なぜ武州多摩の農民が新選組になったのか?
新選組の局長となる近藤勇と実質的に組の運営を担った副長の土方歳三は、共に武州多摩(東京都三多摩地区)の農民の出身。お互い武士になる夢を抱いて天然理心流の剣の修行を通じ、知り合うことになるが、この二人の出会いは、偶然だと言えるのだろうか。
近藤、土方と同じ武州多摩(町田市)の出身でもある河合氏は、
「近藤も土方の実家も農民とはいえ、かなりの経済力を持った豪農だったのです。武州多摩は将軍直轄の天領や旗本知行地(ちぎょうち)。その昔には、武田家や北条氏が滅んだあと、彼らの家臣達を徳川が再雇用した。半分は武士で半分は農民という身分で召し抱えた〝八王子千人同心〟と呼ばれた人が多く住み着いた場所です。いざという時には武士として徳川に忠義を尽くすため、農民であっても武術修業をするのが当たり前のような気風の地域だった。しかも幕末期の豪農は武士よりも豊かで、学問や教養も武士よりも優れた人材がいたのです。明治になると自由民権運動が盛んになる地域でもあり、そういう気風が近藤、土方らを生む素地になっていたとも考えられます」
【謎其の三】なぜ3人もの局長がいたのか?
「もともとは将軍の徳川家茂(いえもち)が230年ぶりくらいに江戸から上洛する時に将軍を警護する部隊が必要だということで、出羽庄内(山形県東田川郡)の浪士・清河八郎(きよかわはちろう)が浪士達を集めて先に京都に入ります。