「鎌倉殿の13人」山本耕史が演じる三浦義村、実は初回放送時点ではまだ8歳の子供だった? (9/10ページ)
鎌倉幕府の勝利に貢献し、北条氏に次ぐ地位を磐石のものとします。
元仁元年(1224年)に大任を果たした義時が世を去ると、子の北条泰時(やすとき)と北条政村(まさむら)が後継者の座を争い、当初は烏帽子子(※)である政村を推していたものの、政子の説得に応じて泰時に推し変。
(※)えぼしご。元服に際して成人の証である烏帽子をかぶせた子で、かぶせた者は烏帽子親(えぼしおや)となり、両者は時に血縁以上の関係とされました。
その決断によって泰時が家督を継承して第3代執権となり、鎌倉幕府の行く末を大きく左右したのでした(ちなみに政村もその後、第7代執権となっています)。
幕府の宿老として最期まで影響力し続けた義村は延応元年(1239年)12月5日に世を去ります。
『吾妻鏡』によれば「頓死、大中風」との事で、現代的に言えば脳卒中の後遺症(中風。大は重症の意)によって急死したようです。