「鎌倉殿の13人」戦闘狂・源義経が大暴れの予感、木曽義仲主従の壮絶な最期!第16回「伝説の幕開け」予習 (2/12ページ)
『吾妻鏡』における義仲の最期
まずは鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』に描かれた義仲の最期を見てみましょう。
蒲冠者範頼。源九郎義經等。爲武衛御使。率數万騎入洛。是爲追罸義仲也。範頼自勢多參洛。義經入自宇治路。木曾以三郎先生義廣。今井四郎兼平已下軍士等。於彼兩道雖防戰。皆以敗北。蒲冠者。源九郎相具河越太郎重頼。同小太郎重房。佐々木四郎高綱。畠山次郎重忠。澁谷庄司重國。梶原源太景季等。馳參六條殿。奉警衛仙洞。此間。一條次郎忠頼已下勇士競争于諸方。遂於近江國粟津邊。令相摸國住人石田次郎誅戮義仲。其外錦織判官等者逐電云々。(以下、義仲と義広の経歴)
※『吾妻鏡』寿永3年(1184年)1月20日条
源範頼と源義経たちは、源頼朝の命により数万騎を率いて上洛しました。これは義仲を討つためです。
範頼は勢多(瀬田大橋)から、義経は宇治から迂回しての上洛となります。
対する義仲は叔父の志田三郎先生義広(しだ さぶろうせんじょうよしひろ)や今井兼平(演:町田悠宇)らに兵を預けてそれぞれ防がせるも、いずれも敗北してしまいました。