「鎌倉殿の13人」戦闘狂・源義経が大暴れの予感、木曽義仲主従の壮絶な最期!第16回「伝説の幕開け」予習 (7/12ページ)
『平家物語』が描く義仲の最期・今井兼平の忠義
その後、手塚太郎光盛(てづか たろうみつもり)は義仲を守って討ち死に。その父である手塚別当(べっとう。諱は不詳)は老齢であったためか暇を賜わり、どこへともなく落ち延びて、もはや義仲と兼平の主従二騎に。
ここへ来て、義仲は弱音を吐きます。
「日来は何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや」
※『平家物語』巻第九「木曽殿最期」より
いつもは当たり前に着ている鎧が、今日はずいぶん重く感じる……義仲は心身ともに参ってしまっているようです。
最期まで義仲を励まし続ける兼平。歌川芳員「粟津合戦 今井四郎打死之図」
しかし、兼平は気丈に励まし続けました。
「御身もいまだ疲れさせ給はず。御馬も弱り候はず。何によつてか、一領の御着背長を重うは思し召し候ふべき。それは御方に御勢が候はねば、臆病でこそさは思し召し候へ。兼平一人に候ふとも、余の武者千騎と思し召せ。矢、七つ八つ候へば、しばらく防ぎ矢仕らん。あれに見え候ふ、粟津の松原と申す。