「鎌倉殿の13人」ネタバレ注意!前半放送の振り返りと後半 “血で血を洗う惨劇の連続” の予習 (7/12ページ)
まずは頼朝が亡くなってから承久の乱に至るまで、御家人たちが繰り広げた政治抗争を年表にまとめます(★は流血沙汰を未然に防げた事件)。
正治元年(1199年)
7月~8月 ★安達景盛討伐未遂
⇒頼家が景盛の愛妾を強奪した挙げ句に攻め滅ぼそうとするも、母・政子に叱られて兵を退く
多くの御家人たちから怨みを買った梶原景時。その真価を理解していたのは、頼朝だけだったのかも知れない。
正治2年(1200年)
1月 梶原景時滅亡
⇒御家人66人の連名で糾弾され、13人から初の脱落
建仁元年(1201年)
1~5月 城氏の乱
⇒京都・越後にて挙兵。梶原景時と共に決起する予定だった。ある種の弔い合戦
建仁3年(1203年)
5~6月 阿野全成流罪・殺害
⇒比企派による北条派への先制攻撃。下手人は八田知家
9月 比企能員の乱
⇒北条氏によるクーデター。