埼玉県飯能市の歴史や飯能河原のそばにある水天宮について調べてみた (7/8ページ)
■最後に
そのような彼らがいた、そして「戦争」が展開した「場所」は、上記からわかるように、飯能河原のそばではなかったものの、もしかしたら、水を飲むためや休憩などを河原で取った可能性がある。そこで故郷・筑後川のそばで大切に祀られてきた「水天宮」を目にし、拝んだ者がいたかもしれない。飯能戦争を含め、戊辰戦争に出兵した久留米藩を含めた多くの藩は後々、藩財政の窮迫化を招き、なおかつ、元兵士たちの発言力が増してしまったことから、戦いそのものに「勝ち」はしたが、明治4(1871)年の廃藩置県までのわずかの間だったとはいえ、その後の藩政そのものに悪影響を及ぼしてもいたという。そのような「飯能戦争帰り」の人々が故郷の久留米に戻ったとき、水天宮が祀られた筑後川とはまた違う風景をたたえた入間川や、飯能のことを思い出しただろうか。
今、飯能河原には、何事もなかったかのように水天宮が祀られている。100年後、200年後、どう変わっているだろうか。古い体制を守ろうとする人々と、自分の命も惜しまず、革命的に、新体制を創造しようとする人々とがぶつかり合い、再び「飯能戦争」のような大乱が引き起こされないことを、切に祈るばかりである。