「鎌倉殿の13人」ついに阿野全成の最期か…第30回放送「全成の確率」予習 (7/8ページ)

Japaaan

法橋禅師(全成)が子息の播磨公(頼全)、さる7月16日に討ち果たしてございます」

阿野頼全の最期(イメージ)

相摸權守使者自京都到着。申云。去十六日。催遣在京御家人等。於東山延年寺。窺播磨公頼全〔全成法橋息〕令誅戮之云々。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)7月30日条

【意訳】源仲章の使者が鎌倉に到着。さる7月16日に東山延年寺で修行していた播磨公頼全を粛清したとの報告を受ける。

……間に合いませんでした。

まとめ・阿野全成父子の最期

建仁3年(1203年)
2月ごろ 全成、鎌倉を離れて駿河国へ
5月19日 全成、駿河国で捕らわれて御所に連行される
5月20日 頼家、政子に阿波局の引き渡しを要求するが拒否される
5月25日 全成が常陸国へ流罪に
6月23日 全成が八田知家に殺される
6月24日 頼家が京都の阿野頼全を殺すよう命じる
6月30日 八幡宮の屋根からハトが転げ落ちて死ぬ
7月4日 八幡宮の屋根で三羽のハトが殺し合う
7月9日 八幡宮の境内にハトの生首が発見される
7月16日 京都で阿野頼全が殺される
7月18日 頼家が(人生最後の)蹴鞠に興じる
7月20日 頼家が急病に倒れる
7月23日 占いの結果、病気の原因が神仏の祟りと判明
7月30日 京都から頼全の処刑報告が届く

……以上、阿野全成と阿野頼全の最期をたどってきました。

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