「鎌倉殿の13人」畠山重忠を始末した時政・りく夫婦。しかし…第36回「武士の鑑」予習 (3/8ページ)

Japaaan

……同二十三日重成法師と舎弟榛谷四郎重朝を呼寄て彼女房申けるは、我むこの左衛門佐朝正(朝雅)当時京都に上て時政が代官とぞ差置昇殿しけり。是も伊予入道頼義朝臣五代の末なれば将軍に成らるに何の子細が有べき。当将軍を失奉らんと云ければ重成兄弟尤可然と同ず。

※『保暦間記』重忠被誅より

【意訳】6月23日、牧の女房は稲毛重成とその弟・榛谷重朝(はんがや しげとも)と謀議。
「我が婿殿(朝雅)は北条殿の代理として京都守護を務めているが、これも朝雅が源頼義(よりよし。頼朝の5代祖先)から5代の子孫だからである。源氏の棟梁として、鎌倉殿に成り代わる資格は十分であろう」
そこで実朝を「失い奉らん」と同意したのであった。

……いや、その理屈はおかしい。確かに朝雅は源氏の血統であり、たとえ鎌倉殿に相応しかったとしても、だからと言って何の非もない現将軍の実朝を排するのは筋違いというもの。

ちなみに、ここで言う「失う」とは将軍の地位かそれとも命か、何でも「奉る」さえつければ許されるってものでもないでしょう。ともあれ牧の方は実朝暗殺計画を立てるのでした。

間一髪!義時が実朝を救出

……七月廿日に時正(時政)の家へ請じ、湯殿にて失ひ奉らんとしけるを二位殿竊(ひそか)に聞食て式部蒸義時(時政嫡子)を召て懸る。不思議有と聞るはいかに計ひ給うぞと仰ければ、義時急馳向て見奉るにはや湯殿へ入り給はんとしけるを、懐奉て御所へ入奉けり。

※『保暦間記』重忠被誅より

【意訳】7月20日に時政の館へお招きし、入浴中にてヤっちまおうと計画していたのを政子が(どういうルートからか)聞いてしまい、義時(式部丞。ここでは時政の嫡男になっている)に相談。
「まったく考えられません。どうしたらいいでしょうか」
義時はただちに時政邸へ急行、すると実朝がちょうど湯殿へ入ろうとしていた。
「危なーい!」
とばかり間一髪で押しとどめた義時は、実朝を抱きかかえるようにして御所へと連れ戻したのであった。

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