「鎌倉殿の13人」畠山重忠を始末した時政・りく夫婦。しかし…第36回「武士の鑑」予習 (7/8ページ)

Japaaan

出家させられた時政の前/後(イメージ)

ちなみに『吾妻鏡』によると、鎌倉を追放された時政はそのまま伊豆で10年ほど過ごして建保3年(1215年)1月6日に病死しました。

霽。伊豆國飛脚參。申云。去六日戌尅。入道遠江守從五位下平朝臣〔年七十八〕於北條郡卒去。日來煩腫物給云々。

※『吾妻鏡』建保3年(1215年)1月8日条

【意訳】晴れ。伊豆からきた飛脚が「1月6日の午後8:00ごろ、時政が北条の地で亡くなった。日ごろ腫物を患っていた」などと伝えた。

伊豆の小豪族から立身出世し、鎌倉幕府の執権として権勢を奮った一代の豪傑にしては、あまりにも寂しい最期だったのではないでしょうか。

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