「鎌倉殿の13人」繰り返される挑発に爆発寸前!北条義時・和田義盛の開戦前夜…第40回放送「罠と罠」予習【下】 (7/10ページ)
自閨中求出一通書状。披覽之處。書載云。叛逆之企。於今者定難被默止歟。雖然。順一族不可奉射主君。又候御方不可敵于父祖。不如入無爲。免自他苦患云々。義盛聞此事。太忿怒。已雖爲法躰。可追返之由。示付四郎左衛門尉義直。是朝盛者殊精兵也。依時軍勢之棟梁。義盛強惜之云々。仍義直揚鞭云々。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)4月16日条
「何、三郎が鎌倉を出て行っただと?」
朝盛の出家を聞かされた義盛は、ただちに義直を派遣して連れ戻させます。朝盛は弓の名手であり、北条との衝突が避けられない現状においては欠くべからざる戦力です。
義直相具朝盛入道。自駿河國手越驛馳歸。仍義盛遂對面。暫散欝憤云々。又乍着黒衣。參幕府。依有恩喚也。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)4月18日条
果たして朝盛は義直に連れ戻され、4月18日に鎌倉へ帰りました。
「……面目次第もございませぬ」
「申すでない」
僧侶の黒衣に身を包んだ朝盛と再会し、実朝は遠からず戦わねばならぬ身の上を深く憂えたことでしょう。
完全に断たれた和平の希望和田左衛門尉義盛追放年來歸依僧〔伊勢國者。号尊道房〕。人成恠之處。外成追出之儀。内爲祈祷令參太神宮之由。有再三流言。仍世上弥物忩云々。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)4月24日条
ますます鎌倉が騒がしくなる中、義盛は4月24日に永年帰依してきたお抱えの祈祷僧・尊道房(そんどうぼう)を追放します。