「鎌倉殿の13人」繰り返される挑発に爆発寸前!北条義時・和田義盛の開戦前夜…第40回放送「罠と罠」予習【下】 (3/10ページ)
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)3月9日条
「大変です!『無数の和田義盛』がやってきました!」
「ホラ、言わんこっちゃない……」
ヒゲむさい和田義盛。こんなのが(当人含め)99人で押しかけてきた日には……(イメージ)歌川国芳筆
しかし胤長は昨日釈放した義直や義重と異なり、積極的に謀叛を主導していた一人。さすがにどれほど泣き落とされても無罪放免とはいきません。
「和田よ。そなたたちを忍びなくは思うが、流石に……」
「甘い!鎌倉殿は甘すぎるのです!だから和田殿がつけ上がるのです!」
義時は配下に命じて胤長を縛り上げて烏帽子を奪い取り、和田一族の面前で引き回して晒し者にするという鬼畜の振る舞いに及びました。
当時の男性にとって、頭髪をさらすのはパンツが脱げてしまうくらい恥ずかしいこと。義時のしたことは、現代で言えば「全裸にして縛り上げ、街中を引きずり回す」くらいの暴挙と言えるでしょう。
「このくらい断固たる態度で臨めば、下らぬワガママも言わなくなるでしょう!」
「「「ふざけやがって!」」」
無数の和田義盛たちが、それはもう怒るまいことか。この時に義盛は報復(≒謀叛)を心に決めたと言いますが、よくこの時点で暴動が起きませんでしたね。
胤長と引き離され……愛娘・荒鵑の死陰。和田平太胤長配流陸奥國岩瀬郡云々。