「鎌倉殿の13人」繰り返される挑発に爆発寸前!北条義時・和田義盛の開戦前夜…第40回放送「罠と罠」予習【下】 (8/10ページ)
「どういう事だろう、何か不始末があったとも思えないが……」
人々は「義時を調伏する(呪い殺す)ため、伊勢の神宮へ派遣したのではないか」などと噂しました。
霽。宮内兵衛尉公氏爲將軍家御使。向和田左衛門尉宅。是義盛有用意事之由依聞食。被尋仰其實否之故也。而公氏入彼家之侍令案内。小時。義盛爲相逢御使。自寢殿來侍。飛越造合〔無橋〕。其際烏帽子抜落于公氏之前。彼躰似斬人首。公氏以爲。此人若彰叛逆之志者。可伏誅戮之表示也。然後。公氏述將命之趣。義盛申云。右大將家御時。勵随分微功。然者抽賞頗軼涯分。而薨御之後。未歴二十年。頻懷陸沈之恨。條々愁訴。泣雖出微音。鶴望不達鷁。退耻運計也。更無謀叛企之云々。詞訖。保忠。義秀以下勇士等列座。調置兵具。仍令歸參。啓事由之間。相州參給。被召在鎌倉御家人等於御所。是義盛日來有謀叛之疑。事已决定歟。但未及着甲冑云々。晩景。又以刑部丞忠季爲御使。被遣義盛之許。可奉度世之由有其聞。殊所驚思食也。先止蜂起。退可奉待恩義裁也云々。義盛報申云。於上全不存恨。相州所爲。傍若無人之間。爲尋承子細。可發向之由。近日若輩等潜以令群議歟。義盛度々雖諌之。一切不拘。已成同心訖。此上事力不及云々。
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)4月27日条
「何とか、和田と北条の戦さを避けられないものか……」
無益な流血を避けたい実朝は、義盛の館へ宮内兵衛尉公氏(くないひょうゑのじょう きんうじ)を使者に派遣しました。
「おぅ、来たか」
出迎えた義盛は、ふとした拍子に烏帽子が脱げてしまいます。