慈円は本当に「中世きっての名僧」なのか?その生涯から名場面をピックアップ【鎌倉殿の13人】 (3/8ページ)

Japaaan

さて、ざっと人物像をつかんだ?ところで、慈円の名僧らしいエピソードを以下にまとめてみました。

身分にこだわらず才ある者を愛する度量

……慈鎮和尚、一芸ある者をば、下部までも召めし置きて、不便にせさせ給ひければ、この信濃の入道を扶持し給ひけり。

この行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教へて語らせけり……

※『徒然草』第二百二十六段

【意訳】慈円(慈鎮和尚)は一芸にひいでた者は身分が低くても分け隔てなく可愛がったので、この信濃入道(信濃前司行長)を召し抱えたという。

この行長、以前に学問で失敗したことを恥じて出家遁世していたところ、才能を惜しんだ慈円に取り立てられました。

琵琶法師によって『平家物語』が広められた(イメージ)『職人歌合画本』より

やがて行長は『平家物語』を作って盲目の琵琶法師に語らせたと言います(諸説あり)。身分や過去にとらわれない慈円の慧眼が、功を奏したのかも知れませんね。

「武士の世」の幕開けを記す

平安末期から公家たちの威勢が衰え、武士たちが台頭。やがて頼朝の鎌倉開府によって「武士の世」が開かれた……と言うのが一般的な見解。

しかし慈円はそれに先立つ幕開けを『愚管抄』に記していました。

……保元々年七月二日鳥羽院ウセサセ給ヒテ後。日本國ノ乱逆ト云コトハヲコリテ後。ムサノ世ニナリニケル也ケリ。

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