慈円は本当に「中世きっての名僧」なのか?その生涯から名場面をピックアップ【鎌倉殿の13人】 (6/8ページ)
四条天皇を祟り殺す?
ここまで、慈円の人格者らしいエピソードを紹介してきましたが、今度は怖い話しも。
慈円が世を去って数十年後の仁治3年(1242年)1月9日、四条天皇(しじょうてんのう。第87代)がにわかに崩御されました。
原因はいたずら好きな陛下が、舎人や女房たちを転ばせようと御所の廊下に滑石をばらまいたところ、自ら転んで頭を打ったのが死因と考えられます。
当時12歳、あまりにも残念な崩御に人々は「これは亡き慈円僧正の祟りだ」と噂したのでした。
仁治三年正月二十四日。……去九日四條院俄崩御境節聊故慈鎮和尚成祟御之由……
※『門葉記』巻第三(熾盛光法三)より
【意訳】さる1月9日、四条院がにわかに崩御された。これは慈鎮(慈円)和尚が祟りをなしたゆえとのこと。
なぜ慈円が幼い四条天皇に恨みを……と思ってしまいます。これはかつて承久の乱(承久3・1221年)に敗れた際、在位していた仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう。第85代)が廃されたことが原因です。
「幼き当今(とうぎん。現在の天皇陛下。