慈円は本当に「中世きっての名僧」なのか?その生涯から名場面をピックアップ【鎌倉殿の13人】 (7/8ページ)
当時4歳)に罪はございませぬ、どうかご再考を!」
仲恭天皇の母・九条立子(りっし/たつこ)は兼実の孫であり、九条家の血統を受け継ぐ幼帝を守りたかったのですが、懇願も空しく即位からわずか78日(5月13日~7月29日。歴代最短)で退位させられてしまいました。
代わりに即位したのは別系統の後堀河天皇(ごほりかわてんのう。第86代)。髙倉天皇(たかくらてんのう。第80代)の皇孫に当たります。
「おのれ……この怨み、晴らさでおくべきか!」
慈円の怨みは自身の死後、次代の四条天皇に祟ったという……噂。あくまでも噂ですが、当時の人々は「慈円ならそのくらい怨むだろうし、祟り殺すくらいの法力は持っていただろう」と思っていたのでしょう。
終わりにおほけなく うきよのたみに おほふかな
わがたつそまに すみぞめのそで※「小倉百人一首」第95番 前大僧正慈円
【意訳】おこがましくも、世の人々を抱きしめて≒救ってあげたい。比叡山(の頂上)に立つ私の、墨染の袖で。
天台座主として、苦しむ衆生を救おうとする壮大な心意気が詠まれた慈円の歌。あふれる慈愛と才覚が満ち満ちていますね。