「鎌倉殿の13人」ついに始まる最終決戦“承久の乱”!第47回放送「ある朝敵、ある演説」予習【後編】 (6/9ページ)

Japaaan

「ついに来たか……最も避けたかった形で」

日本の建国(紀元前660年)以来、朝敵となって生き延びた者は未だかつて一人もいません。

決断を迫られる義時。どうする(イメージ)

「どうする小四郎!よもや一天万乗の君に弓を引くつもりか!」

「いや、これはあくまでも上皇陛下をたぶらかす奸臣どもを討つだけだ!義は我らにあり!」

「そなたは何を申しておるのだ、どんな経緯があろうと、陛下が小四郎を名指しで追討せよと仰せなのだぞ!」

「ではむざむざと膝を屈して、故右大将家のご遺業を無に帰せよと申されるか!」

あぁでもない、こうでもない……鎌倉存亡の危機に直面して、御家人たちの動揺はただならぬものだったはずです。

これを収められるのは、今や尼御台・政子(演:小池栄子)を措いていなかったでしょう。

……皆一心而可奉。是最期詞也。故右大將軍征罸朝敵。草創關東以降。云官位。云俸祿。其恩既高於山岳。深於溟渤。報謝之志淺乎。而今依逆臣之讒。被下非義綸旨。惜名之族。早討取秀康。胤義等。可全三代將軍遺跡。但欲參院中者。只今可申切者……

※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月19日条

「……みな心一つにて奉るべし。これ最期の詞なり。故右大将軍が朝敵を征罰し、関東を草創してこのかた。官位といい俸禄といい、その恩すでに山岳より高く、溟渤(めいぼつ。海)より深し。

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