将来を嘱望されながら”セリフ死”してしまった織田信忠(信長嫡男)…その生涯を振り返る【どうする家康】 (1/5ページ)
NHK大河ドラマ「どうする家康」皆さんも観ていますか?楽しんでいますか?
さて、織田信長(演:岡田准一)の嫡男として将来を嘱望されていながら、本能寺の変(天正10・1582年6月2日)のドサクサに紛れてセリフ死(※最期が描かれず、セリフでのみ死亡が言及されること)してしまった織田信忠(おだ のぶただ)。
文武両道のエリートとして数々の功績を重ね、信長の後継者=次代の天下人として申し分ない逸材だったのに、この扱いはあんまりじゃありませんか。
……という訳で、今回は江戸時代の系図集『寛政重脩諸家譜』より、織田信忠の生涯をたどってみたいと思います。
果たして、どんな活躍をしていたのでしょうか。
信長の期待に応え、伝家の宝刀を受け継ぐ織田信忠は弘治3年(1557年)、信長の長男として誕生しました。母親は生駒蔵人家宗(いこま くらんどいえむね)の娘、幼名は奇妙(きみょう)と言います。実に奇妙な名前ですが、信長のエキセントリックな性格が垣間見えるようです。
さて、そんな信忠は天正2年(1574年)に従五位に叙せられ。翌天正3年(1575年)3月28日には出羽介の官職を授かりました。同年6月には正五位下に昇進、11月7日付で秋田城介となります。父の威光で、スピード出世ですね。
さらに天正4年(1576年)1月5日に従四位上となり、生まれ故郷の清洲城から岐阜城へと移りました。