【関ヶ原の合戦】死を覚悟した鳥居元忠(音尾琢真)が息子たちに送った遺言がコチラ【どうする家康】 (3/9ページ)

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譜代の誇り・亡き父や兄たちの忠義

家臣に背負われる幼少期の家康(竹千代)。小林清親「教導立志基」

……左なき所にてすら、恥を知る士の死を遁るゝ道は之なし、況や君の為めに命を歿すること常の法なり、平生待儲たる所にて、箇様の時節に出合ふこと心ある日とは羨ましかるべし、其元能く心得べきは、我等が先祖代々御譜第と云、取分亡父伊賀守殿清康公に御奉公申され、其後廣忠公へ忠勤を勵まる、又兄源七郎殿は渡里に於て討死して忠を盡されたり、當君御幼少にて駿河に渡らせ給ふにも、守立申ん為め、伊賀守殿駿府は御供なり、其後當君十五の御歳岡崎へ帰らせ給ふにも、無二の忠義怠ることなく、八十歳に余るまで一生別心せず、當君にも又となき者に思召されたり、……

※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠

【意訳】およそ武士たる者、恥を知るならば死を逃れようとしてはならぬ。いわんや主君のために命を投げ打つことは常識であり、平素から心待ちにしておくべきですらあろう。こたびこのような時節にめぐり会えた父を羨ましいと思うべきだ。

そもそも心得ておくべきは、我らが鳥居家は御譜代すなわち先祖代々徳川家に奉公してきた名門である事実。

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