【関ヶ原の合戦】死を覚悟した鳥居元忠(音尾琢真)が息子たちに送った遺言がコチラ【どうする家康】 (4/9ページ)

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その中でもわしの父上・鳥居忠吉は松平清康公(家康祖父)・松平広忠公(家康父)そして殿と三代にわたり忠義を尽くされた。我が兄の源七郎(鳥居忠宗)も命を投げ打って忠義を尽くされたのじゃ。

殿が今川への人質として駿河へ贈られた時も父上はこれに従い、後に殿が15歳で岡崎城へ戻られた際も、軍資金を蓄えるなど忠義を尽くされた。そして80余歳の生涯で忠義をまっとうし、殿も父上をかけがえなく思し召されたのであろう。

忠義に生きた49年・その最期を飾る最高の晴れ舞台

……又我等も十三歳にて當君十歳の御時初めて御前へ出しより、今に至て召使はれ、御恩を蒙り忝きこと生々世々忘るべからず、今度関東御進発の時、我々が貞心を能く知召が故に残し置かると仰出され、左しも大切なる上方の押、伏見の御城代を承はること武運の冥理に叶ひたる所なり、天下の士に先立て君恩の為めに命を没す、當家の面目多年の本懐なり、……

※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠

【意訳】かく言うわしも、13歳の時から殿にお仕えした。殿は10歳にあらせられた。それから今まで49年間、殿から受けた御恩は生涯いや生まれ変わっても忘れはすまい。

こたびの関東遠征(会津の上杉景勝討伐)に際して、殿はわしらの忠義と武勇をよくご存じなればこそ、この伏見城に残されたことを仰せられた。

かくも重大なるお役目を与えて下さったこと、実に武運の冥理(冥利)に尽きるというもの。天下の武士に先だって主君のために命を投げ打つ手本を示す、鳥居家にとってこれ以上の名誉はあるまい。

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