【関ヶ原の合戦】死を覚悟した鳥居元忠(音尾琢真)が息子たちに送った遺言がコチラ【どうする家康】 (1/9ページ)

Japaaan

【関ヶ原の合戦】死を覚悟した鳥居元忠(音尾琢真)が息子たちに送った遺言がコチラ【どうする家康】

人間、遅かれ早かれ必ず死にます。だから日ごろからそれなりに覚悟してはいるつもりでも、自分自身はいざ知らず、遺された者たちが心配でならないのは人情というもの。

そこで「自分が死んだら、あれをあぁしてこうして……」などと、家族や親しい者たちに遺言するのですが、想いの丈をすべて伝えるのはなかなか大変です。

今回は幼少期から徳川家康に仕え、生涯にわたって忠義を貫き、後世「三河武士の鑑」と讃えられた鳥居元忠の遺言を紹介。

果たして彼は、息子たちに何を言い残したのでしょうか。

伏見城で石田三成らの大軍に包囲された元忠たち

まずは遺言の原文から。出典は『名将言行録』、戦国武将を中心に虚実入り混じった武士たちの逸話集です。

なので史実性については低いものの、今日多くの戦国ファンから愛されている武将たちのイメージはこうした伝承を基に形づくられてきました。

また往時の人々にしても「彼ならばやりかねない」という一定の評価があったからこそ信じたはずですし、ある程度は個々の実像に近いものと考えられるでしょう。

歌川芳虎「東照宮十六善神之肖像連座の図」より、鳥居元忠

御託はこのくらいにして、さっそく原文を読んでみたいと思います。

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