【関ヶ原の合戦】死を覚悟した鳥居元忠(音尾琢真)が息子たちに送った遺言がコチラ【どうする家康】 (6/9ページ)
徳川家を出奔した石川数正。歌川芳虎「後風土記英勇傳 石河伯耆守数正」
……国所領に目が昧(くら)み、又は一旦の不足に舊恩を忘れ、仮初にも別心すること人の道にあらず、仮令日本国中が悉く敵に組して背くと雖も、我らが子々孫々盡未来他家に足を入るべからず、唯何事に付ても、一家兄弟心を一致にして忠功を盡し、互に助けられつ義を守り、勇を励み、先祖代々、中にも伊賀守殿より高名の武功世に隠れなき家の譽を穢さじと心掛け、兎に角に一命は御為めに奉げ置きたると心腹に能々思ひ詰たらんには、千変万化の急難が差来るとも、少しも周章(あわつ)ることあるまじ、……
※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠
【意訳】やれ「国を与える、所領を授ける」などと言われて欲望に目が眩み、また少しくらい不満があったからと御恩を忘れるような輩は人間ではない。たとい日本国じゅう悉く敵に回そうと、我が鳥居家の者は子々孫々にいたるまで他家へ寝返るようなことがあってはならぬ。
ただひたすら一家兄弟が助け合って主君に忠義を尽くし、義を守って武勇に励み、先祖代々特に伊賀守(鳥居忠吉)殿の名誉を汚さぬよう心がけよ。
