「どうする家康」鳥居元忠の最期、実際はどうだった? 第42回放送「天下分け目」振り返り (2/12ページ)
……昌幸は信繁同道にて犬伏の宿を打立て、夜中沼田に著たまい。城中へ按内ありければ、信幸の室家使者を以て、夜中の御皈陣不審に候なり、此の城は豆州の城にて、自を預居候事なれば、御父子の間にて候え共、卒尓に城中へ入申事成難く候と仰ける。……
※『滋野世記』
【意訳】昌幸は次男の真田信繁(日向亘)を従えて沼田へ到着。城内へ入れてくれるよう求めましたが、真田信幸の妻(稲姫)は答えました。
「夜中にいらっしゃるとはどうしたことでしょうか。伊豆守(真田信幸)様の城を預かる妻として、たとえお義父様であろうと、たやすく城内へはお招きいたしかねます」
まったく、けんもほろろですね。
……暫有て城中より門を開きけるに、信幸の室家甲冑を著し、旗を取り、腰掛に居り、城中留守居の家人等其外諸士の妻女に至るまで、皆甲冑を著し、あるいは長刀を持ち、あるいは弓槍を取り列座せり。時に信幸の室家大音に宣うは、殿には内府御供にて御出陣有し御留守を伺い、父君の名を偽り来るは曲者なり、皆打向って彼等を討ち取るべし……一人も打ち洩らさず打ち捕べしと下知したまう。昌幸その勢いを御覧ありて大いに感じたまい、流石武士の妻なりと称美あり。……
※『滋野世記』
【意訳】暫くすると、城門が開かれました。