「どうする家康」鳥居元忠の最期、実際はどうだった? 第42回放送「天下分け目」振り返り (6/12ページ)
……元忠長刀を杖とし石壇に腰うちかけて、しばらく息をやすめ居る處に、鈴木孫三郎某が組の士雑賀孫一重次と名のり、鎗を取て突かゝりしかば、城の大将鳥居彦右衛門元忠こゝにあり、首とりて名誉にせよと、長刀を取直して組むかふ。重次たちまち鎗をふせ大将の身として匹夫と斬死せられむは遺恨なり。今はこれまでなり、すみやかに生害あられよ、其しるしを申うけ、後代の誉とせむと申ければ、元忠しかりとし、汝に首を得さすべきなりとて、広縁に上りて腹かき切て死す。年六十二……
※『寛政重脩諸家譜』巻五百六十 平氏(支流)鳥居
【意訳】くたびれ切った元忠が、石壇に腰かけて休んでいると、一人の敵が現れた。彼は鈴木孫三郎の配下・雑賀孫一重次。元忠に一騎討ちを挑みかかる。
「我こそは伏見城代・鳥居彦右衛門。この首とって誉れと致せ!」
長刀をもって挑みかかるも疲労困憊、たちまち重次に突き伏せられてしまう。
「鳥居殿ほどの方が、それがし如き匹夫に首をとられては気の毒でならない。今はこれまで、速やかにご自害召されよ」
「相分かった。この首級をくれてやろう」
かくして元忠は腹を掻き切って息絶えた。享年62歳。
……とのこと。今回は最期だけピックアップしましたが、三成の大軍に怯まぬ様子や、息子たちに語り継いだ忠義の精神などを描いて欲しかったですね。
※鳥居元忠の遺言:
【関ヶ原の合戦】死を覚悟した鳥居元忠(音尾琢真)が息子たちに送った遺言がコチラ【どうする家康】……この日元忠にしたがひて戦死する宗徒の郎等五十七人、其餘兵七百餘人、歩卒数百人に及べり。
