政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【中編】 (2/13ページ)

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政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【前編】

家康の挑発にのった豊臣家に危機が訪れる

1614年9月、徳川家康はついに豊臣家討伐を決定し、諸大名に大坂への出陣を命じます。一方、豊臣方もこれに対抗するため、関ヶ原の戦いで没落した旧大名や武士を中心に牢人たちを集め、彼らは続々と大坂城に入りました。

徳川幕府を盤石な政権としたい家康にとって、関ヶ原の戦いによって摂津・河内・和泉の直轄地のみを知行する65万石の一大名に転落したとはいえ、豊臣秀頼の存在はやはり脅威そのものでした。

千姫を秀頼に嫁がせた頃には、家康がまだ豊臣家との共存を考えていた可能性が高かったようです。しかしその後、淀殿の家康に対する不信感はますます強まっていきました。

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