政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【中編】 (7/13ページ)

Japaaan

カルバリン砲 wikipedia

その砲撃目標は、片桐且元をはじめ、大坂城を退去した旧豊臣家臣たちの情報に基づき、的確に設定されたともいわれています。

そして、ついに本丸を狙った一弾が淀殿のいる櫓に命中し、一度に8人もの侍女を吹き飛ばして即死させました。

この砲撃に衝撃を受けた淀殿は和睦へと傾き、12月16日、ついに和議に乗り出し、12月19日に和睦が成立しました。

徳川方の熾烈な砲撃は、目標を定めて実施されたとはいえ、現代の大砲とは異なり、命中精度に大きな誤差があったことは間違いないでしょう。そのため、砲撃はいわば無差別的なものであり、城内にいる千姫に危害が及んだとしても、なんら不思議ではありませんでした。

そのような砲撃を実施したことから、家康も秀忠も、千姫に危害が及ぶ可能性をある程度許容していたと考えられます。

豊臣家に嫁ぐ前、千姫は祖父や父の深い愛情に包まれて育ちました。そんな彼らから情け容赦ない攻撃を受けたとき、彼女の心中はいかばかりだったことでしょう。

秀頼の助命歎願は叶わなかった

「大坂冬の陣」では、淀殿の妹であり、江の姉である初(京極高次夫人)が、徳川家康の側室である阿茶局とともに講和交渉で大きな役割を果たします。

しかし、講和条件には本丸を除く大坂城の曲輪の破却や堀の埋め立てが含まれており、1615年1月8日から工事が始まり、1月24日には完了しました。

「政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【中編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、千姫徳川家光徳川家豊臣秀頼徳川家康カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る