政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【中編】 (10/13ページ)

Japaaan

真田信繁公騎馬像(上田駅前)wikipedia

そして5月7日正午頃、最後の決戦となる天王寺・岡山合戦が行われます。豊臣方は真田信繁隊、毛利勝永隊、大野治房隊などが突撃し、家康と秀忠の本陣に迫りました。

この時、家康の本陣は大混乱に陥り、家康はわずかな旗本勢に守られながら逃げる事態に追い込まれ、家康は自害を覚悟したと伝わります。

しかし、兵力で勝る幕府軍は次第に態勢を立て直し、豊臣軍は夕刻前に壊滅。大坂城本丸を目指し幕府軍が殺到し、次々に城内へ乱入しました。

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