政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【中編】 (6/13ページ)
五人衆は野戦を主張し、その間に西国の豊臣恩顧の大名たちの寝返りを促す策を献じました。しかし、大野治長をはじめとする豊臣家の家臣たちは籠城戦を主張します。結局、大坂城周辺に砦を築き、堅固な大坂城に籠城する作戦が採用されました。
冬の陣では、真田信繁が出城・真田丸を築いて徳川方の軍勢を撃退するなど、豊臣方の善戦も見られました。しかし、城攻めのための仕寄(塹壕)の構築や、100門を超えるといわれる大砲による攻撃が行われるようになると、大坂城内の被害は増していきます。
徳川方が使用した大砲の中には、長い射程距離を持つイギリスから輸入した最新兵器・カルバリン砲4門、セーカー砲1門が含まれており、こうした大砲によって昼夜を問わず大坂城内への集中砲火が加えられました。
特に11月16日から4日間続いた砲撃は、その砲声が京都にまで聞こえたと伝えられるほど激しいものであったようです。