政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【中編】 (4/13ページ)

Japaaan

「国家安康」の梵鐘とその銘文 wikipedia

その後、家康は大仏鐘銘に記された「国家安康」の4文字について、「家」と「康」の二文字が意図的に分けられており、徳川家を呪い豊臣家の繁栄を祝う内容であると不快感を示しました。

慌てた豊臣方は、この問題を解決するため、急ぎ且元を家康のもとへ派遣しますが、家康は且元との面会を拒絶。且元は、対応した本多正純と崇伝に対し、秀頼が家康・秀忠に反逆の意思がない旨の起請文を提出すると申し出ますが、家康はこの提案を拒否します。

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