政略の駒…”悲劇の姫君”から徳川家のゴッドマザーへ!「千姫」の切なくも壮絶な生涯【中編】 (5/13ページ)
困惑した且元は、9月18日、「秀頼が大坂を離れて江戸に参勤すること」「淀殿が人質として江戸に赴くこと」、それでも許しが得られない場合は「秀頼が大坂城を退去し国替えすること」の3つの条件を提示し、事態の収拾を図ろうとしました。
しかし、この解決策を聞いて激怒したのは、ほかならぬ且元の主人である淀殿でした。淀殿は且元が豊臣家を裏切ったと考え、大坂城中では且元討伐の動きが強まり、且元は徳川方へと奔ります。
この一件は、家康が天海や崇伝を使って豊臣方を翻弄した結果、その誘いに乗った豊臣方が暴発し、それがついに徳川と豊臣の全面対決となる大坂の陣へと発展したのです。
千姫の身辺にも及んだ容赦ない砲撃11月半ば、徳川方は20万の軍勢で大坂城を包囲し、ここに豊臣と徳川の最初の戦いである「大坂冬の陣」が始まりました。
これに対し、後藤基次、真田信繁、長宗我部盛親、毛利勝永、明石全登ら五人衆をはじめとする牢人勢を加えた豊臣方は、10万の兵で迎え撃ちます。