「べらぼう」蔦重、ついに覚醒!吉原者が“作り笑顔”で市中の地本問屋たちを確実に刺し返す!【前編】 (8/10ページ)

Japaaan

大田南畝像(鳥文斎栄之筆、東京国立博物館蔵)

二人の出会いは、南畝が蔦重の本を自身の本で絶賛してくれたお礼を伝えに、南畝の家を訪れたことから始まりました。

これは史実でもその通りで、南畝の日記には、

「蔦屋の板にて 喜三二の作なりし故 蔦屋重三郎 大によろこびて はじめて わが方に 逢いに来けり」

と日記されているそうです。(「べらぼう紀行」より)
南畝のほうも、お江戸で有名になってきた吉原生まれの吉原育ち、若手の書店の主人蔦重に興味を持っていたのでしょうか。

「喜三二の作」とは、ご存じ朋誠堂喜三二(尾美としのり)の『見徳一炊夢(みるがとくいっすいのゆめ)』

本の売れ行きを心配していた蔦重でしたが、南畝が、ランキング本『菊寿草』でNo.1に推薦したおかげで、売れ行きは絶好調になりました。

その礼をするために、須原屋市兵衛(里見浩太朗)の仲立ちで牛込・御徒組屋敷まで足を運んだのでした。

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