幼馴染みから政治の犠牲に…日本最古の悲恋・十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察【前編】 (7/12ページ)

Japaaan

天智天皇(Wikipedia)

しかし、大海人は病気を理由に固辞し、今後の近江朝廷の体制として皇后・倭姫王による称制を行い、いずれは大友皇子と十市皇女の子を皇位に就けるという案を示しました。これは、天智が想定していた案と、奇しくも一致していました。

その後、大海人皇子は剃髪して出家し、鸕野讃良皇女(持統天皇)とその子・草壁皇子をはじめ、わずかな家族や舎人、女孺だけを伴って吉野・宮滝へと下りました。

吉野宮滝 宮殿模型(撮影:高野晃彰)

ほどなくして天智が崩御すると、大友皇子による朝廷の主宰が始まります。

「幼馴染みから政治の犠牲に…日本最古の悲恋・十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、高市皇子文武天皇尼子娘十市皇女天武天皇カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る