幼馴染みから政治の犠牲に…日本最古の悲恋・十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察【前編】 (9/12ページ)

Japaaan

鸕野讃良皇女・持統天皇(Wikipedia)

しかし、このような大海人の考えに危機感を抱いていた人物が、彼のすぐ近くにいました。それが、大海人の正妃であった鸕野讃良皇女です。彼女の最大の懸念は、皇位を大友と十市の子が継ぐことでした。鸕野讃良にとって皇位継承者は、自らが産んだ草壁皇子以外には考えられなかったのです。

壬申の乱で夫・大友を失い飛鳥浄御原宮に戻る

大海人皇子の吉野下野のわずか1年後、歴史は大きく動きました。672(天智10)年1月に大津宮で天智天皇が崩御すると、その7月、大海人は吉野にて近江朝廷打倒の兵を挙げました。これが、古代最大の内乱とされる壬申の乱です。

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