幼馴染みから政治の犠牲に…日本最古の悲恋・十市皇女と高市皇子の純愛をさまざまな角度から考察【前編】 (8/12ページ)

Japaaan

しかし、大海人の大津京からの退去については、多くの宮廷人が「虎を野に放つようなものだ」と噂し、警戒感が広がったと伝えられています。

この大海人による吉野下野については、さまざまな説が唱えられています。中でも多くの説は、もし大海人が天智の要請を受け入れていれば、かえってその立場は危うくなり、天智によって抹殺されていた可能性があるとするものです。

つまり、天智にとっては大友を皇位につけることが最優先事項であり、そのためには乙巳の変以来、ともに労苦を重ねてきた実弟・大海人こそが、最大の障害にほかならなかったということになります。

しかし、これは本当なのでしょうか。先述のとおり、皇位継承権には母親の出自が大きく関係していました。確かに、天智が大友を寵愛していたのは事実でしょう。大友を太政大臣に任じたことからもそれは窺えます。

乙巳の変(Wikipedia)

とはいえ、天智は飛鳥時代の規律の中で生きてきた人物です。もとより、大友がすんなりと皇位に就くことが難しいことは、天智自身が十分に理解していたはずです。そして大海人もまた、自らが皇位に強く執着すれば、兄とともに進めてきた改新事業が頓挫することになりかねないと考えたのではないでしょうか。

だからこそ大海人は一度身を引き、吉野で近江朝廷の動向を静観するという策を選んだのです。もし倭姫王と大友皇子による政治体制がうまく機能しなければ、いずれ皇位は大海人に回ってくるでしょうし、仮にうまくいったとしても、皇位は大友と十市の子が継ぐことになります。

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