朝ドラ【風、薫る】大山捨松が輝いた『鹿鳴館』はなぜ4年で終わった?西洋化への反感と風俗の乱れ (6/10ページ)
※ジョサイア・コンドル:鹿鳴館のほかにも高輪の三菱関東閣・三田綱町の三井倶楽部・ニコライ堂などを手掛ける
歴史的な有名人の仮装パーティー「ファンシー・ボール」
「鹿鳴館時代」に行われたイベントで有名なのが、明治20年4月20日に行われた仮装舞踏会「ファンシー・ボール」です。
鹿鳴館ではなく伊藤博文内閣総理大臣官邸で行われたもので、外交や条約改正とは直接関係のない催しだったものの、350人が招待されました。
仮装の衣装は、歴史的な西洋の衣装・欧州や東洋の民族衣装・日本の歴史上の人物や歌舞伎風に分かれていたそう。
伊藤博文夫妻はヴェネツィアの貴族、井上馨は三河萬歳芸人、山縣有朋が奇兵隊の隊士、鍋島直大夫妻は18世紀フランス貴族、渋沢栄一は歌舞伎の登場人物などの仮装をしたとか。
このイベントは、当時の国粋主義者の間で「亡国の兆し」と罵られ、海外への渡航歴がある勝海舟でさえ、憂国の感を深めました。
「西洋文化の模倣ではなく、国内の基盤整備や独自の軍備の重要性」をと、説いた建白書を政府に提案したそうです。