朝ドラ【風、薫る】大山捨松が輝いた『鹿鳴館』はなぜ4年で終わった?西洋化への反感と風俗の乱れ (5/10ページ)
華やかな社交の場として4年間続いた「鹿鳴館時代」
鹿鳴館は、明治16年(1883)に、長州藩における討幕運動の中心人物として活躍した井上馨によって建設されました。
イギリス人の建築技師、ジョサイア・コンドル(※)の代表作として有名ですが、創建時の姿形を伝える設計図面などの建築資料は少ないそうです。
着工は、明治13年(1880)頃、約2年間で完成した鹿鳴館は、客室、舞踏室、食堂、ビリヤード室などを備えた2階建ての洋館で、外務省が各省から集めた公費約14〜18万円(現在の数十億円ほどに相当するとか)を投じて建設されたものです。
国賓や外交官などを接待する華やかで贅沢な社交の場として使用された鹿鳴館を中心とし欧化主義が広まった明治16年(1883)〜明治20年(1887)の4年間は、『鹿鳴館時代』と呼ばれています。
明治16年11月28日には、1200人もの招待客を招いての祝宴が行われ、以降、接待や舞踏会、祝賀行事などを行う場所となりました。