朝ドラ【風、薫る】大山捨松が輝いた『鹿鳴館』はなぜ4年で終わった?西洋化への反感と風俗の乱れ (7/10ページ)
西洋化への反感や風俗の乱れなどで4年間で衰退
幕末から明治時代へ。新旧交代の時代の文化や風俗に一つの方向性を示した鹿鳴館。
けれども、欧化政策・海外に媚びる卑屈な政治姿勢などに批判的な人々の反発を買うようになりました。
さらに、井上馨の政治的失脚、夜会などによる風俗の乱れ(伊藤博文が酔っ払った挙句の女性スキャンダルとか)なども原因で、華やかなりし「鹿鳴館時代」は約4年間で衰退したのです。
明治23年(1890)には閉鎖され、十五銀行へと土地や建物は払い下げとなり、明治27年(1894)には華族たちの親睦団体である華族会館に貸与することになります。その後、老朽化のために昭和15年(1949)に解体されました。
「せっかくの建築物を保存しよう」という声も上がったようですが、当時が戦時体制だったために、西洋風の社交の場に対する世間の風当たりや反感なども高まっていたことも、保存されず解体した理由にあるとか。