【豊臣兄弟!】三成を“お姫様抱っこ”の藤堂高虎!史実でも主君を惹きつける超愛され武将だった (7/10ページ)
出来上がった屋敷に入り、事前に知らされていた設計とは違うことに気がついた家康は高虎を問いただし、その事実を聞きました。そして、高虎の才能と気遣いと機転に大いに感動、高く評価して親交を深めていったそうです。
ただの痒み止めを「傷によく効く」と秀吉に渡す家康。この食わせ物の家康を高虎は感動させる(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより)
「あの世でも会いたい」と家康に言われ改宗天正19年(1591)に秀長が死去、高虎は一時出家して高野山入りをするも秀吉の説得で還俗し、伊予国板島(現在の宇和島市)の大名となります。そして、秀吉が死去する直前に家康に近づき、豊臣氏の家臣団の分裂に際して徳川家康側につきました。
慶長5年の関ヶ原の戦いで功績をあげ徳川家の重臣となった高虎は、江戸城改築にも尽力。そのほかにも様々な活躍をして家康に高く評価されていきます。
高虎と家康がどんどん縁を深めていくエピソードはたくさんあるのですが、やはり一番その深さを感じるのが元和2年(1616)、病の床に臥していた家康が旅立つ前に、高虎と天海僧正を枕元に呼んだときの話でしょう。
家康は、これまでの忠義に対して礼をいい「そなたは日蓮宗で、わしは天台宗と、宗派が違う。だから、あの世で会えることがないやもしれん。