『豊臣兄弟!』近づく半兵衛(菅田将暉)の最期、黒田官兵衛(倉悠貴)との熱い絆…天才軍師「両兵衛」を比較 (4/11ページ)

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官兵衛は、“守りの毛利”より、“攻めの織田”につくのが得策と判断し、重臣たちを説得。小寺家は信長に臣従し家臣・秀吉に仕えることになりました。

黒田官兵衛は、軍師としてさまざまな戦略を押し出し「稀代の知将」「戦国一の切れ者」と恐れられるようになったのです。

そんな官兵衛は、天正13年(1583)頃、気心の知れたキリシタン武将、小西行長・高山右近・蒲生氏郷に勧められる形で洗礼を受け「シメオン」の名を与えられました。官兵衛は慶長9年(1604)3月20日、京都伏見藩邸にて死去。享年59でした。

「豊臣兄弟!」で演じるのは倉悠貴さん。NHKの朝ドラ「おちょやん」「あんぱん」ほかいろいろなドラマや映画で活躍する俳優さんですが、大河は初めて。どんな切れ者ぶりを発揮するのか楽しみですね。

倉悠貴さん演じる黒田官兵衛(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より

竹中半兵衛と黒田官兵衛、戦略や交渉術エピソード

二人の戦略や交渉術がうかがい知れるエピソードをご紹介しましょう。

▪️竹中半兵衛の戦術と交渉術

竹中半兵衛は、冷静な観察力で敵の戦略を見破るのを得意としていました。

・永禄13年(1570)「姉川の戦い」
織田軍と浅井・浅倉軍の「姉川の戦い」の際、数千もの浅井軍が横山城(現在の滋賀県長浜市)から出ていくのを、半兵衛は“織田軍を引きつける戦略”と見抜き、守りを固めることを主張。織田軍は兵を減らすことなく、横山城を包囲して浅井・浅倉軍との戦いの火蓋が切られたのでした。

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