『豊臣兄弟!』近づく半兵衛(菅田将暉)の最期、黒田官兵衛(倉悠貴)との熱い絆…天才軍師「両兵衛」を比較 (5/11ページ)
・天正元年(1573)「小谷城の戦い」
その後も続いた織田軍と浅井・浅倉軍の戦い。半兵衛は、信長への反感が強いのは長政の父・久政で、長政はやむおえず追従しているという情報を得ます。そこで、浅井の居城・小谷城の、“長政のいる本丸”と“久政のいる小丸”の間にある京極丸を占拠し、親子の連絡網を断ちます。
小谷城は落城し久政・長政親子は自害。長政の妻・お市の方と3人の娘たちの救出に成功しました。
・天正3年(1575)「長篠の戦い」
織田と武田勝頼の戦いで、織田軍は鉄砲を使った画期的な作戦を展開しました。武田軍が兵を動かしたのをみて織田軍や秀吉は、横からの攻撃に備えて自軍を動かそうとするも、半兵衛は動かず。混乱させるための“武田軍の作戦”だと見抜いていたのでした。これによって秀吉は救われました。
「太平記英勇伝 建中官兵衛重治」歌川国芳 public domain
▪️黒田官兵衛の戦術と交渉術黒田官兵衛は、「城攻め」を得意としました。
・天正6年(1578)〜「三木合戦」
秀吉に仕えていた黒田官兵衛は、「三木城」(現在の兵庫県三木市)に籠城する別所長治に武力で対抗するのは難しいと考え、食糧補給手段を絶たせる「兵糧攻め」を秀吉に提案。攻略に成功します。
・天正9(15801年)「鳥取城の渇え殺し」
毛利軍との戦いでは、鳥取城を攻める1年前に商人たちを派遣して、収穫されたばかりの米を通常の倍の値段で買い取る作戦を実行。