朝ドラ『風、薫る』りんが書いた“看護のいろは”は実在!黒川医師と明治のナイチンゲール・大関和の看護黎明期 (6/10ページ)
脈を取る手が震えなかったのは「これが娘だったら」と思ったから。(NHK「風、薫る」公式「X」より)
「派出看護」を手伝う傍ら書いた「看護の基本」実際、大関和は、ナイチンゲールの「Notes on Nursing」のような著書を出しています。
1つは明治32年(1899)刊行の『派出看護婦心得』。
ちょうど、直美のモデル・鈴木雅が帝国大学病院を退職して「慈善看護婦会」を立ち上げたのが軌道に乗り「東京看護婦会」に改称、附属の看護婦講習所を設立したころです。
和は婦長として働くかたわら、知命堂病院附属産婆看護婦養成所から卒業生を輩出。黒川と共に、同病院を新潟における看護婦養成の一大拠点とすることに成功した頃でした。
ある程度の役割を果たした和は、大変そうな雅を手助けするために上京します。
その頃、明治27年(1894)〜翌年にかけて行われた日清戦争で、急激に派出看護の需要が増加しました。
戦後の伝染病の蔓延、戦争中の篤志看護婦の活躍の影響で看護婦志願者が急増したことが原因です。
そして、最も問題だったのは、当時は看護婦資格や派出看護婦会の基準に定めがないことでした。
そのため、知識のない素人が派出看護会をはじめ、玉石混合のカオス状況に。