【豊臣兄弟!】酷評の愚将・信雄が江戸時代まで延命、評価が高い信孝が25歳で自刃…織田兄弟の残酷な明暗 (5/11ページ)

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頼みの綱の勝家を失い、信孝は岐阜城を開城し尾張国に向かい、内海大御堂寺に退きました。

そして、4月20日(5月2日とも)安養院にて信雄の命令によって自害します。25歳(26歳とも)の短い人生でした。

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太平記拾遺 神戸侍従信孝(織田信孝)wiki

人物の評判が高かった信孝

父・信長の「天下布武」を意識したのか、『一剣平天下』(※)という馬蹄形印判を使用していたという信孝。※「剣一振りで天下を平らげる」の意味

天下を取る気満々の織田信孝の人物評価は、兄の信雄と比べると高かったようです。

信孝はキリシタンになることを望んでいたとか。「コンタツ(信者用の数珠)を常に身につけている」理由について「父・信長の耳に届くようにするためで、父が構わないようならキリシタンになる自由を得るだろう」と述べていたそうです。

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