【豊臣兄弟!】酷評の愚将・信雄が江戸時代まで延命、評価が高い信孝が25歳で自刃…織田兄弟の残酷な明暗 (7/11ページ)
(城の)上部が全て炎に包まれると彼は市にも放火したので、その大部分は焼失してしまった」(ルイスフロイス『日本史』)
現代語に訳すと、「安土城付近にいた信長の息子、御本所(織田信雄)は、普通の人より知恵が劣っていたので、何の理由もなく、自分の邸と城を焼き払うように命じた。城下町にも火を放ったために大部分が消失した」という内容。
さらに『日本西教史』には、より手厳しい内容が。
……人の痴愚と呼做す信長の次男は安土に在り、其父の仇たる兇賊の爲めに或は奪ひ取られんことを恐れ、信長が多年心を費し莫大の費用を散じて建設せし華麗なる宮殿、城砦、及び世人の名所として觀覧する安土の市街に放火せり。(日本西教史)
右から5行目。「人の痴愚と呼做す信長の次男は…」『日本西教史』上巻 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/943460 (参照 2026-08-20)
現代語にしてみると……
「人々が愚か者だと呼ぶ信長の次男は、安土にいた。父の仇である兇賊(明智光秀)の手に奪われることを恐れ、信長が長年心を込め、莫大な費用をかけて建設した華麗な宮殿や城砦、そして世間の名所として人々が観覧する安土の市街に火を放った。」
というように酷評しています。
ただこれらに関してはのちの調査などから、正確なものではなく信雄がキシタンになってから棄教したなどの経緯から、かなり厳しく書かれたものと推測されています。