【豊臣兄弟!】酷評の愚将・信雄が江戸時代まで延命、評価が高い信孝が25歳で自刃…織田兄弟の残酷な明暗 (8/11ページ)

Japaaan

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その時々で有利そうなほうにつく信雄

信雄が「愚将」のイメージを背負ったのは、天正7年(1579)9月『天正伊賀の乱』の大失敗によるところが大きいようです。

信雄は信長に相談もせず、勝手に約8000もの兵を率いて伊賀攻略を始め大惨敗。

信長は大激怒し「親子の縁を断つ」と伝えたそうです。信雄は、縁切りこそされなかったものの、長い期間謹慎させられました。

さらに、本能寺の変のときには本拠地の伊勢松ヶ島城にて挙兵するも、以前から敵対関係にあった伊賀の国衆が一揆を起こし、十分な兵力もなかったために弔い合戦を断念しました。

これも「イマイチな武将」というイメージになってしまう原因だったそうです。

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