科学の名の元にとは言うものの...後にマッドサイエンティストと呼ばれた10人の科学者とその研究内容 (2/10ページ)
個々の植物については順化を通じて丈夫になる可能性はあるが、ルイセンコの学説は、その特性がすぐさま次の世代に受け継がれて、飢饉を抑制できるというものだった。
それはあらゆる学術的な資料で取り上げられたが、やがて作物がそのような反応を示さないことが確認されると、いくつもの反論に直面することになる。
だが科学と政治がはっきり区別されていなかった当時、”社会主義的遺伝学”を唱えたルイセンコはスターリンのお気に入りで、メンデル遺伝学の排斥に動き出す。この運動は「ルイセンコイズム」と呼ばれている。従来の正しい遺伝学を支持する学者は検閲や抑圧の対象となり、大勢が処刑された。
References:smithsonianmag
・9. ウィリアム・バックランド:地上のあらゆる動物を試食する
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ウィリアム・バックランド(1784~1856)はマッドサイエンティストの教科書的存在だ。1784年、イングランド、デヴォンシャーで生まれた彼は、1801年に奨学金を獲得すると、オックスフォード大学地理学部に学生代表として入学する。
だがバックランドの最も奇抜な野心が頭をもたげたのは生物学の世界であった。彼の手法は地上にあるあらゆる動物を試食することである。
学習と指導への情熱を奇妙な方法で表現したバックランドは、史上稀に見る不合理な講師として絶叫しつつ、学生の眼前でハイエナの頭蓋骨を振り回した。