【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第25話 (7/9ページ)
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顔を上げると、空が錦絵の吹きぼかしのように滲んで、ひどく綺麗だった。
歌川広重「両国橋大川ばた」
・・・・・・
「なあ、あの空の上には、よっぽど腕の良い摺り師がいるんだろうな」
隣で地面に品を並べている豆売りの親父に、国芳は話すともなく話しかけた。親父は聞いているのかいないのか、黙って豆を弄っている。
「だってよ、そうでなきゃ、こんな綺麗な色が擦れるわきゃねえもんな。・・・・・・」
空の上にいるとてつもなく大きな人間が、とてつもなく小さなこの江戸の町を見下ろしていて、その中でこまねずみが回るように忙しなくくるくる泣いたり喚いたりしている国芳たちを笑っているような気がした。
「ナア、悔しいなア、誰かがわっちらの事ォ笑ってやがる」・・・・・・
ふいに、目から涙がころりと転げ落ちた。
(チクショウ、チクショウ、チクショウ。・・・・・・)
両国橋の雑踏の中央で、国芳は泣いた。
誰しもが思い通りに活躍できて何もかも上手くいく。
そんな世の中がここではないどこかにあるかもしれないと、小さな頃からずっと思っていた。
紺屋でないどこか。
豊国の門下ではないどこか。
もしかすると、江戸でないどこか。
逃げても逃げても、辿り着く先々でここでもない、ここでもないと逃げ続けた。
しかしその繰り返しの中で国芳はもうとっくに、分かっている。
本当は、他のどこかでは意味がないのだと。
この江戸でなければ、意味などない。江戸という都は、陰翳(かげ)も差せば饐(す)えた匂いもし、さびしい時こそ冷たい風が袂を抜けるようなろくでもない都だ。