戦国時代から泰平の江戸時代、そして動乱の幕末まで!名古屋城の歴代城主たち (10/12ページ)
討幕か佐幕かで苦悩! 地方政治の長から中央政界の主導者へ羽ばたいた、名古屋城最後の城主・徳川慶勝
文政7(1824)年、徳川慶勝は美濃高須藩(尾張藩の支藩)主・松平義建の次男として江戸の高須藩邸で生まれました。母は正室・規姫です。
弟には一橋茂栄(後の御三卿)、松平容保(後の京都守護職)、松平定敬(後の京都所司代)がいます。幕末に活躍した彼らは、高須四兄弟と称せられます。
嘉永2(1852)年、慶勝は跡継ぎ不在の尾張藩の藩主に就任します。藩政においては、倹約路線を取るなど財政改革に取り組んでいます。
安政5(1858)年、日米修好通商条約の調印への抗議のため、江戸城に不時登城に及びます。
結果、大老・井伊直弼に咎められて隠居謹慎を命じられることになりました。直後に藩主の座も退いています。
安政7(1860)年、桜田門外ノ変によって井伊直弼が暗殺されます。慶勝は文久2(1862)年に赦免され、将軍・家茂の補佐役となりました。
文久3(1863)年には、嫡男・義宜が藩主に就任。慶勝は後見役として尾張藩に関わるようになります。