戦国時代から泰平の江戸時代、そして動乱の幕末まで!名古屋城の歴代城主たち (5/12ページ)

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天文20(1551)年、父・信秀の死去に伴い家督を相続。織田家当主となりました。

天文24(1555)、信長は清須城の尾張国守護代・織田信友(織田大和守家)を安食の戦いで撃破。その後、信友は織田信光(信長の叔父)によって討たれ、清須城は占拠されます。

当時の尾張国は、清洲城が中心地となっていました。同城にはかつて尾張国の守護所が置かれ、守護代の居城としても機能していたのです。

信長はほどなくして、信長は清洲城に居城を移転。那古野城には、叔父の信光が入城しています。

織田信長像(出典:ウィキペディア)

名古屋城前史 織田家の功臣は家臣に殺された!? 信長の叔父城主・織田信光

永正13(1516)年、信光は織田信定の子として生まれています。母は織田良頼の娘・いぬゐ(含笑院)です。信秀の同母弟となります。

信光は兄・信秀に従い小豆坂の戦いなどで手柄を挙げるなど、織田家中でも指折りの勇士として知られた武将です。

信秀の死後は、甥の信長の家督相続を後援し、主だった合戦にも信長方として出陣しています。

天文24(1555)年、信光は特に大きな手柄を挙げました。当時、信長の織田弾正忠家は、守護代の織田大和守家と対立していました。

信長公記』によると、信光にも大和守家からの調略の手が伸びていたようです。信光は従うふりをして清洲城に潜入。

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