戦国時代から泰平の江戸時代、そして動乱の幕末まで!名古屋城の歴代城主たち (3/12ページ)
氏親は斯波氏との姻戚関係を築いた上で、本格的な尾張国の支配を狙っていたようです。
氏親は、那古野の地に「柳之丸」を築城します。氏豊はここに入り、居城として尾張国に勢力を築きました。
氏豊はどのような武将だったのでしょうか。戦に精通した軍人、というよりも連歌を好むなどの風流人として知られていました。
そんな氏豊に目をつけた武将がいます。勝幡城主であった織田信秀(織田信長の実父)でした。
名古屋城前史 まさに下克上! 城主の座を奪い取り、自らの居城にした武将・織田信秀永正8(1511)年、織田信秀は勝幡城主・織田信定の長男として生まれました。
母は織田良頼の娘・いぬゐ(含笑院)です。
父・信定は尾張国の守護代・清須織田氏(大和守家)に仕える三奉行のうち一つ(弾正忠家)を束ねていました。
弾正忠家は、勝幡城に居城を構えていました。同家は物流の集散地でもあった牛頭天王社(津島神社)の門前町・津島を支配下に置くなど、潤沢な経済力を手に入れていました。
大永6(1526)年頃、信秀は家督を相続して当主となります。
信秀は主家である清須織田家や同輩の奉行家と争うなど、尾張国内の勢力拡大に邁進していました。
天文7(1538)年、信秀は今川氏豊の柳之丸に目をつけます。信秀は強硬な力攻めをすることはなく、謀略によって城を落とすことを考えていました。
『名古屋合戦記』には、信秀が氏豊の連歌の集まりに足繁く通った様子が描かれています。信秀は柳之丸への逗留を繰り返し、氏豊の信用を受けるようになっていきました。あるとき、信秀は柳之丸の本丸に窓を開けます。氏豊は夏風を入れるためだとばかりに思っていました。
柳之丸に逗留していた信秀は、突然城内で倒れます。信秀は自分が死ぬと氏豊に告げ、家臣への遺言を頼みました。
哀れんだ氏豊は、信秀の申し出を承諾。信秀の家臣たちの柳之丸への入城を許します。
その日の夜、信秀の家臣たちは城内に放火。