戦国時代から泰平の江戸時代、そして動乱の幕末まで!名古屋城の歴代城主たち (11/12ページ)

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元治元(1864)年には参与会議への参加を命じられるなど、中央政界からも今日力を求められますが固辞しています。

しかし同年の第一次長州征伐では総督に任じられ、幕府と長州藩との講和に尽力しています。

慶応3(1867)年、将軍・徳川慶喜大政奉還を行います。王政復古後、慶勝は議定に任じられました。

小御所会議においては、慶喜の辞官納地を命じることが決定。慶勝はこれに抗議氏、尾張藩の領地を徳川宗家に返還する意向を表明するに至ります。

それ以外にも、佐幕派となった実弟の容保や定敬の助命を嘆願する運動も行っています。その結果、慶応4(1868)年に議定を免ぜられるにことになりました。

しかし慶勝は、まだ政治の世界から必要とされていました。明治3(1870)年、慶勝は二代目の名古屋藩知事に就任します。このとき、慶勝は名古屋城の取り壊しなどを発議しています。

慶勝は時代の流れを読んでいました。明治4(1871)年、廃藩置県が断行されました。慶勝は名古屋藩知事に再任され、同年の11月まで任にありました。

同年、名古屋城には東京鎮台第三分営が設置。名古屋城の三之丸にある武家屋敷は取り払われ、金鯱は天守閣から降ろされています。

時代が明治に変わり、名古屋城は政府の軍事施設へと変わっていきます。その中で慶勝は名古屋城最後の城主として、時代を先導する立場に有り続けました。

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